アーティスト・奥田雄太が武蔵新城・CHILLのアトリエで見据える未来「絵を描き続けられる幸せを循環させたい」

中原区・武蔵新城駅の住宅街の中にある『CHILL(チル)』。
かつてはカフェ等が併設され、「食とアートと音と映像と」をキーコンセプトに営業していたこの場所は、2024年3月にアートに特化した建物へと生まれ変わりました。

写真:奥田さん提供

この場所を主なアトリエとして活動しているのが、高津区溝の口在住のアーティスト・奥田雄太さん。

奥田さんはかつて有名ブランドでデザイナーとして活躍し、とある出来事をきっかけに2016年から「絵で食べていく」覚悟を決めたそう。

今や川崎を代表するアーティストの一人であり、世界へと活躍の場を広げている奥田さん。しかし意外にも、「絵で食べていけるなんて、昔は考えてもいなかった」と。

奥田さんのこれまでの軌跡を辿るとともに、川崎というまちに抱く思いやこれからの展望についても伺いました。

「絵で食べていく」世界は、意外と近くにあった

ーー奥田さんはアーティストとして活動する以前、デザイナーとして働かれていたそうですね。

奥田雄太(以下、奥田)さん:
はい。服飾の専門学校を卒業後、イギリスの大学でさらにファッションについて学んでから、地元愛知で自分のアパレルブランドを立ち上げました。

でもあまりうまくいかなくて、「TAKEO KIKUCHI」のファッションデザイナーとして就職したんです。そこで生産や販売に関する知識を学んで、自分のブランドを成功させよう、と。

ですが心の中にどこか、違和感を抱えていました。なぜかというと、結局デザイナーの仕事は“消去法”で選んでいたんですよね。

絵を描く方がずっと好きだったけど、愛知の田舎町で“絵描き”でご飯を食べてる人なんて、当時はいなかった。SNSもなかった時代ですし、絵を仕事にするなんて「宇宙飛行士になる」くらい実現するイメージが湧かないことだったので、無意識に選択肢から外してしまっていたんです。

ーー本当は、デザインよりも絵を描きたかったんですね。

奥田さん:
もちろん、仕事には没頭して取り組んでいました。でも、ある日イギリスの大学で先生から言われた言葉で、衝撃を受けたことがあったんです。先生から「ファッションデザイナーを目指している君は、親が資産家ですか? 兄弟がスーパーモデルですか?」と聞かれて、僕は全てに「No」と答えると、「それなら、あなたはマイナスからのスタートだね」と。

つまり一流のファッションデザイナーになるためには、そういった天性的なものを持っているのが当たり前だと、ハッキリ伝えられたんです。

そこで「僕はみんなと同じ頑張りじゃ駄目なんだ」と思い知ったのですが、そこで熱くなれない自分がいることに気付いたんです。本当は、デザイナーではなく絵描きになりたかったのだと。

ーーでは、絵描きになろうと踏み切ったきっかけは?

奥田さん:
妻のお父さんから紹介されたアーティストの個展を見に行った時、絵が売れる場面を目にして、衝撃を受けたんです。「1枚の絵が3万円とか5万円になる世界が、すぐ近くにあったなんて!」と。

その世界に、踏み込めずにいた自分自身に、悔しさを覚えました。

当時僕はデザイナーとして活躍している自負があったので、同級生くらいの年齢の彼を見て、もしかすると「簡単な世界じゃないぞ」って斜に構えていたところも少しあったのかもしれません。

とにかく、その一瞬のうちにたくさんの気付きがあったんです。帰り道にモヤモヤと考えた結果、デザインした服が何千人、何万人の手に渡ることよりも、たった一人に絵が売れる方が、僕にとってはうれしいことだと自覚したんです。

写真:奥田さん提供

そして、帰宅してすぐ奥さんに「絵描きになりたい」と伝えたら、奥さんが「いつかそう言うと思っていたよ」と(笑)。それが、絵を仕事にするに至った経緯です。

コロナ禍で、価値観も絵のモチーフもガラッと変わった

ーー奥様は、最初から奥田さんの気持ちを理解していたのですね。画家として活動を始めて間もない頃は、“Colorful Black”というモノクロの作品を多く制作されていました。

奥田さん:
はい。でもそれは塗り絵の本やワークショップを開催する際での呼称みたいなもので、テーマとして掲げていたのは“Beatiful Foodchain”(美しい食物連鎖)ですね。

当初はモノクロばかりを描いていましたが、コロナ禍をきっかけに、現在の“With Gratitude”(感謝)というテーマに行き着いたんです。

ーーなぜ、コロナ禍がきっかけに?

奥田さん:
自粛要請で展示会が軒並み中止になってしまって、改めて「自分は何を描きたいんだろう」と考える時間が生まれたんです。

こうした危機的状況下で自分が表現したいものは、生涯を通して伝えたいことになると思ったんですよね。

ーー考えた結果、「感謝」だったと。

奥田さん:
そうですね。当時“できないこと”だらけの状況で、つい「最悪だ」が口癖になってしまっていたんです。でも、家族がいて毎日健康に過ごしている。“持っている”ものに目を向けて、それに感謝するようにしたら、すごく前向きなマインドになれたんです。

当たり前に感謝する大切さを、僕は作品を通して生涯伝えるべきなのではないのかと。そう気付いてからは、「ありがとう」の気持ちの象徴ともいえる“花束”をモチーフに制作するようになりました。

それと、2023年に発刊した画集に「Circulation」というタイトルをつけたのですが、「循環」も一つのキーワードになっています。

今このアトリエで、アシスタントの子たちを育てていることもそうですし、今までの人生を振り返ると、「循環」が一つのテーマになっているのかなと。自分が他人からされて嬉しかったことは、「ほかの人にもしたい」と考えるのが当然じゃないですか。そうやって、幸せを循環させていきたいなと思っています。

ーー素敵です。今年の1月にアトリエを拡張されたそうですが、奥田さんが使用しているフロアの下にはアシスタントさんや、ほかのアーティストさんが使用されているそうですね。

奥田さん:
はい。「CHILL」のアトリエは、アーティストたちが色々なかたちで関わったり、なにかを共有できる場所にしたいなと考えています。

どういうふうに絵で生計を立てていくのか、チュートリアル的に試していくのもいいですし、僕や周りのアーティストたちから学ぶこともできる。

このアトリエは原則紹介制で、紹介した人が責任を持って新しい人を育てていくイメージで運営しています。いろんな人がここに集まって、コミュニケーションを取る上で学んでいく。例えるならば、「公園」みたいなイメージですね。川崎は、アーティストが多く集まっていると感じます。

奥田さんと同じく「CHILL」にアトリエを構える、アーティストのMEGさん

「自分だけが絵を描き続けられる環境」では、幸せは実現しない

ーー奥田さんご自身は、川崎というまちについてどのように感じていますか?

奥田さん:
すごく良いまちですよね。僕は以前宮前区の宮崎台に住んでいて、現在は溝の口に住んでいるのですが、都心へのアクセスが良くて暮らしやすいんです。羽田空港や物流倉庫も近いので、海外で展示する際の利便性も良い。

ーーでは、川崎市に対してアーティストの視点から期待していることはありますか?

奥田さん:
アーティストが活動を続けられるために、制作に集中できる環境が増えたらいいな、とは思いますね。

特に若手において、「アート活動をするための資金が必要なのに、制作するスペースを借りるお金がない」という場合が多いんです。

1年とか短い期間ではなく、ある程度継続して使えるスペースがあれば、多くのアーティストたちのためになるかなと思います。もしそんな場所があれば、僕も入りたいですね。

ーー最後に、ご自身のこれからの展望を教えてください。

奥田さん:
自分の体が動けなくなる前に、アーティストたちが継続的に活動できる環境を整えておきたいなと思います。

厳密に言うと、「アート制作」と「アート活動」は違うんですよね。僕にとって“絵で食べ続ける”ことは、“絵を通じた社会活動の中で評価され続ける”ということ。

つまり「僕だけが絵を描き続けられていて、生活できていれば、周りなんてどうでもいい」という考えは、僕にとっての幸せではありません。

ライバルたちを振り落としてまで絵を描き続けたいという気持ちは全くなくて、周囲にいる人たちがそれぞれ絵で食べていけるような環境があってこそ、僕にとっての幸せが成り立つんです。

家族はもちろんのこと、自分に関わってくれているまわりの人たちにも幸せでいてほしいなと思いますし、今CHILLのアトリエで制作を手伝ってくれているアシスタントたちの人生にとっても、良い影響を与えられる存在でありたいなと思っています。

ーーまさに、幸せの循環ですね。

奥田さん:
そうですね。僕、「身の程」という言葉が好きなんですよ。自分の手の届く範囲の人たちを幸せにしたいし、僕自身も幸せでありたい。

みんなが「周りの人も幸せでいてほしい」と思えば、それが連鎖していって、結果的にみんなが幸せに過ごせると思っています。

 

(取材日 2024年7月15日)
取材・文/柴田捺美 写真/矢部ひとみ

<プロフィール>
奥田 雄太
1987年愛知県生まれ。日本とイギリスにてファッションデザインを学んだのち、ファッションブランド「TAKEO KIKUCHI」でデザイナーとして活動。2016年にアーティストに転向。国内での個展やグループ展に精力的に参加し、制作と発表を続けキャリアを築き上げている。コロナ禍をきっかけに、当たり前と感じていたことが実は特別な出来事だったと気づき、「感謝を作品にしたい」という思いから“With Gratitude”をテーマに作品を制作している。
現在は、中原区武蔵新城のサウナをリノベーションしたCHILLがアトリエ。

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