中原区・武蔵新城のとある場所にアトリエを構える、美術家・京森康平さん。
2020年に開催されたエルメス(HERMES)のスカーフコンペティションにおいて世界123カ国・約5500人の中からグランプリを受賞した経験を持つなど、今世界的に注目されているアーティストです。

そんな京森さんは、2020年度の川崎市 市勢要覧「カワサキノコト」表紙デザインを担当したほか、昨年6月には宮前区内で、ベンチを地元の小学生100人と装飾するワークショップを実施するなど、市のアート活動にも貢献。誰もが文化芸術に触れ、参加できる環境「アート・フォー・オール」の実現を目指す川崎市にとって、欠かせない存在の一人でもあります。
今回は、京森さんのアトリエに訪問。京森さんの考える「装飾」の意味について伺うとともに、市内在住のアーティストとして川崎市に期待していることを教えてもらいました。
飾るとともに“隠す”ことができる装飾に、自ずと心惹かれた
ーー京森さんは18歳で上京した後、専門学校ではデザインやファッションを学ばれていたとのこと。その領域に興味を抱いたきっかけは何だったのでしょうか?
京森康平(以下、京森)さん:
もともと絵を描いたりデザインしたりするのが好きだったので、将来はその道に進みたいなと思っていたんです。当時はあまり自覚していなかったのですが、愛媛県の田舎町で生まれ育ったのもあって、きらびやかでクリエイティブなものに心惹かれていた部分があったのだと思います。いわゆる過疎地区で(実家が)酪農をやっていたことに対して、今思うと、少しコンプレックスを覚えていたんですよね。
高校卒業後はまずデザインについて幅広く学べる学校に2年間通って、その後にファッションの専門学校に進学をしました。その間にイタリア・ミラノに留学し、帰国後はアートディレクションの仕事を経て、広告グラフィックデザイナー・アートディレクターとして独立し、今は美術家として活動しています。
ーー広告デザインの領域から、現在のようにアート作品を制作するに至った経緯は?
京森さん:
広告だと、どうしても作品が表に出るのが短期間になってしまって。僕は制作物にものすごくエネルギーを注ぎ込むタイプなのですが、それがあまり形に残らないというのが、どこか寂しい気持ちがしたんです。例えばファッションのカタログなら、各シーズンごとに新しいものが出るので世に出るのは半年間だけになってしまいますし、ウェブサイトの広告だともっと短い期間で終わってしまうものも多い。
それならば、自分の作品としてもっと長く残るものを作りたいなと思って、アート制作を始めました。2018年頃から始めたので、もうすぐ7年ですね。最初から一貫して、「装飾」をテーマに制作していました。

ーーなぜ「装飾」だったのでしょうか?
京森さん:
明確なきっかけは無かったと記憶しているのですが、イタリア留学時にヨーロッパ各国で見た装飾が、少なからず影響を与えてくれたのかなと思っています。
教会などの宗教的建物や、建築物を囲う鉄格子など……街中の至るところに装飾が施されていて、その土地の歴史として残されている。国や地域によって特徴が異なるので、見ていてすごく面白いんですよ。例えば、イタリアの南部に行くと、ビザンティン建築の特徴を持った装飾があったり。それも、異文化が少し混ざり合ってると言いますか、モザイク調の要素が少し入っているものもあって、その違いにすごく面白さを感じたんです。
もともと、デザインを考える上でも色んな要素を加えていく手法の方が、どちらかというと好きで。なぜ装飾をテーマにこれまで制作を続けて来たのか、自分の中でも謎が残っている部分はあるのですが、イタリアで見た景色や自分の嗜好が影響しているかなとは思います。
それと、先ほども少しお話ししたのですが、“生まれ育った環境”も要因の一つかもしれません。
ーー「愛媛県の田舎町で育ったことが、今思うとコンプレックスだった」とおっしゃっていた部分ですね。
京森さん:
ちょうど今、次の展示に向けて新しい作品を作っているのですが、その最中に「なぜ自分は、装飾に対してここまで追求するのか」と考えていたんです。すると、酪農家に生まれて田舎で育った自分を“飾りたかった”のではないかなと。
装飾って、文字通りきらびやかに“飾る”こともできるのですが、それと同時に“隠す”こともできると思うんです。自分のことを話すのがあまり得意ではない僕にとって、装飾は「他人に見せたくない部分を隠して、良い部分をきれいに飾って見せる」役割もあったのだと思います。

ーーまさに、自分の弱い部分を隠す鎧(よろい)のような役割でしょうか。
京森さん:
そうですね。今まではそう自覚していなかったのですが。自分にとって装飾とは何かを改めて考えたことで、そういった意味もあること、そして幼少期体験にもつながっていたのだと気付きました。
装飾は、静かな暴力性を秘めている
ーー過去には「互いを受け入れ偏見や差別をなくしたい」という思いが作品に込められていると語られていました。その原体験は何だったのでしょうか。
京森さん:
ミラノ留学での経験が大きいと思います。色んな国から学生たちが来ていて、その輪の中に入ると途端に自分がマイノリティになるんですよね。でも、そこでさまざまな言語や文化が混ざりあって、次第に変化が起きる。これは、装飾にも共通して言えることなんです。
どこかの国と国が貿易をしたら異文化が入ってきて、それからインスピレーションを受けて自国の文化に変化が起きる。文化が混ざり合うことで新しいものが生まれることも装飾ならではの良さだと考えて、アート制作を始めたばかりの頃はそういった「文化の融合」を大切にして制作していました。
でも、本当の意味での多様性とは何かを考えると、僕が発信するには少し難しい部分もあるかなと思うようになって。最近は、僕自身が体験したことを、アートに落とし込むことが多くなっています。
ーー制作を始めて7年間、変化があったのですね。
京森さん:
「装飾をテーマにする」という軸はブレていないのですが、大きく変わった部分はありますね。
最近では、装飾が社会の中でどのように機能しているのかと、改めて考えることも多いです。例えば、昔の権力者は服飾や王冠などのきらびやかなもので着飾ることによって、自らの力を見せつけていたわけですよね。それによって、家来たちを従えたり、民衆を操作したりする。そういった意味では、装飾には“静かな暴力性”を裏に秘めているんです。飾ることと、隠すこと。装飾にはこの二つの意味があると僕は考えていて、作品の中でもそれらを表現しています。
最近では(キャンバスにペイントする以外の)新しい表現として、写真作品も制作していますよ。

ーーこちらの写真も、京森さんが撮影されたのですね。
京森さん:
はい。生まれ育った町にある、あばら屋みたいな場所を撮影して、その上からホルスタイン柄を合成しています。先ほどお話ししたように、やっぱり田舎で生まれ育ったことがコンプレックスになっている部分があって、「(その事実を)見たいけど見たくない」という感情を表すために、風景の一部をホルスタイン模様で隠してみたんです。これはまだ試作中のものですが、次の展示会ではこういった写真も展示しようと考えています。
装飾を通して、川崎の“記憶”を未来へつなぐ
ーー京森さんは川崎市在住とのことですが、このまちを選んだ理由は何だったのでしょう?
京森さん:
結婚して家庭を持ったことをきっかけに引越してきたのですが、川崎市に住んでいる友達から「子育てしやすい環境だよ」という話を聞いたんです。田舎出身の僕からすると、大都会・東京はどうしてもイメージが湧かなかったのもあって(笑)。
そんな理由もあって選んだのですが、実際に住んでみると、都心へのアクセスもしやすいですし、すごく魅力的な場所だなと感じます。

ーー昨年は市制100周年記念として、宮前区役所市民広場のベンチ7基を子供たち100人と装飾するワークショップにも参加されていましたね。
京森さん:
はい。宮前区役所さんから「地域の人たちと一緒にできることを探りたい」みたいなご相談を頂いて。川崎が掲げている「多様性」という要素も取り入れた結果、子どもたちの自由な発想で生まれたパターン(模様)で、ベンチを装飾してもらうプロジェクトを一緒に行いました。立方体をそれぞれ好きなようにカットして、その形から連想するモチーフや具象をデザインし、みんなで作ったオリジナルのスタンプを施して完成したものです。
このプロジェクトを通して、今の子どもたちってすごく賢いんだなと改めて感じました。僕が幼かった時代と比べて、現代はさまざまな情報を簡単に手にすることができる。だからこそ、“考える力”があるのかもしれません。
同プロジェクトで「未来のまちづくり」をテーマにワークショップも行ったのですが、すごくリアリティのある未来を描いている子がいて驚きました。環境や食に関連した問題など、頭の中のイメージだけではなく、どこかで得た情報を元に思い描いているんだなと思いましたね。与えられる情報量が多いからこそ、リアルに考える力が自然と養われているのかもしれません。
ーー子どもたちの姿から、新たな気づきを得ることができたのですね。ほかにも、京森さんご自身の変化につながったことはありましたか?
京森さん:
僕は普段一人で制作しているので、誰かと作品を制作したり、そういったアートプロジェクトに参加したりするのは初めての経験だったんです。なので、この宮前区役所さんとの取組を通して、誰かとともに制作をする上では「自分が納得できる完成度に仕上げる」ということだけでなく、「一緒に何を目指すのか」と「その中でみんながどんなことを感じ取れるか」も重要になるのだと、学ぶことができました。実際に制作を進める中でも、それらのことはすごく意識しましたね。
このプロジェクトを通して学んだことは、今後の僕のアートワークにも影響してくるかなと思いますし、社会と接続した取組はすごく興味があるので、また実現できたら嬉しいです。
ーーでは、今後川崎市と取り組みたいことを挙げるとしたら?
京森さん:
現段階では明確なイメージはないのですが、何年も先の、遠い未来でも人々の記憶に残る作品を残せたらいいなと思いますね。宮前区役所さんとの取組で制作したベンチも、携わってくれた子どもたち一人ひとりはもちろんのこと、たまたま前を通りがかった人の記憶としても長く残ると思うので。
それと、“その土地にしかない価値”を、装飾というフィルターを通してかたちに残すこともしていきたいです。

ーー京森さんは、“川崎市ならではの価値”をどのように残していきたいと考えていますか?
京森さん:
川崎市は工業都市として栄えた歴史的背景があるので、(川崎区の)工場地帯や未だ市内各地に残っている町工場などを、未来への“記憶”として残せたらいいと思っています。僕にとって装飾は、その歴史の中で土地を象徴するものでもあるので、川崎市のそういったシンボルを装飾として変換することができたら、きっと多くの人々の心に残るのではないかなと。
最近、どの土地も風景がほとんど同じになっていることが、個人的にすごく気になっていて。新しい商業施設が次々と生まれて、まちが栄えるのはとても良いことだと思う一方で、古いものが残るからこそ良い点もたくさんあると思うんです。日本だけでなく、特にこれから経済発展していくアジア各国など世界的に見ても、同じような景色を持つ場所に成長していくのが少し寂しいなと。アートの観点から見ても、古い部分も未来に残していくことを、僕は大切にしたいなと思っています。

ーー川崎市にしかない“古さ”も、未来に残していきたいですね。では最後に、アーティストとして今後川崎市にどんなことを期待していますか?
京森さん:
川崎市に限った話ではないのですが、アートにはもっと観光的な役割があっても良いのではないかなと考えていて。小さい子どもも含めて、家族みんなで行けるようなアート施設が、川崎市内にも生まれたらいいなと思います。ただ、子どもの遊び場としての意味合いが強い施設というよりは、アートの“尖った”部分が、きちんと残っているものだと良いですね。
アートの世界ってものすごく狭くて、例えばとあるアーティストの作品に数千万円という高い金額がついて、それをコレクターと呼ばれる人たちが購入すると、それだけで市場が完結する。なので、多くの人にはどうしても広がりにくい世界なんですよね。もちろん、それはそれで思想としてコアなものが出来上がるので、良い側面はあると考えているのですが。
ただ、アートは人々に気付きやきっかけを与えることができて、社会全体を刺激することもできると信じているので、もっと多くの人にアートを身近に感じてもらいたいなと思っています。そのためには、もっとアートを楽しめる場所があればと思いますし、僕自身も遠い未来の人々に伝えていけるような、何かを作れたらいいなと思いますね。

<京森康平さん プロフィール>
1985年愛媛県出身。過疎地域で酪農を営む家に生まれ育ち、人口や産業が減少していく地域と一極集中型の現代都市の間の非対称性を経験する人間としての自覚をベースに、現代におけるアイデンティティのあり方と視覚性の関係を考察し、表現活動を行っている。主な個展に『Decor is Painless Domination』(ホワイトストーン・ギャラリーソウル、 2024年)、『EXPRESSION M』(ホワイトストーン・ギャラリー北京、 2023年)、などがある。
(取材日 2025年1月26日)
取材・文/柴田捺美 写真/矢部ひとみ