川崎市役所にほど近い場所にある「稲毛公園」に隣接する「ハローブリッジ」下の倉庫壁面に、大きなひまわりと筆を握った力強い手が印象的な、ミューラルアート(※)が誕生しました。
(※壁面や公共の空間に、許可を得て描かれるアートのこと)

2024年の川崎市制100周年、そして全国都市緑化かわさきフェア(以下、「かわさきフェア」)開催を記念して施されたこちらのアート。よく見ると、川崎大師の交通安全ステッカーや川崎高校で行っている養蜂をイメージした蜂など川崎市にちなんだモチーフが描かれています。
制作したのは、市内在住のアーティスト・YUSEI(佐川友星)さんとunomoriさん。発表時のコメントでは、「“川崎らしさ” をふんだんに取り入れることで、愛着と誇りを市民と共に感じることができるように描いた」と制作背景について触れています。
今回は、制作者のひとりであるYUSEIさんにインタビューを行い、作品の制作裏や、YUSEIさんが考えるミューラルアートの魅力、そして川崎市という場所で描く今後の活動について伺いました。

川崎市にちなんだモチーフを、力強く表現
ーーこちらの作品はunomoriさんとの合作で、川崎市制100周年及び全国都市緑化かわさきフェア開催を記念して制作されたと伺いました。まずはその経緯について教えてください。
YUSEIさん:
川崎市からの公募をきっかけに、選んでいただきました。エントリーシートにラフ案や描くモチーフの説明などを書いて、エージェントを通して応募させてもらったんです。市制100周年とかわさきフェア開催を記念したアートということだったので、川崎市にちなんだものだけでなく、太陽やひまわりの花など“緑化”にちなんだ対象物を描こうと考え、全体の構想を練っていきました。
ーー大きく描かれたひまわりの花が印象的ですが、このモチーフを選定した理由は?
YUSEIさん:
メインとなるモチーフは花だけど、力強い印象を与えるものが良いなと考えていて。ひまわりは川崎区の花とされていますし、イメージとぴったりだったので選びました。ほかにモチーフとして盛り込んだのは、川崎にゆかりのある動物たちです。川崎市に生息する鳥・カワセミや、県立川崎高等学校で養蜂を行っていることにちなんで蜂を描いてみました。

あとは、ダンボールや自転車の車輪などの人工物。普段生活してると、やっぱり自然物だけでなく人工物にも同じかそれ以上触れる機会があると思うので、そうしたモチーフを取り入れたかったんです。自転車の車輪を選んだのは、(今回のミューラルアートが施されたハローブリッジ下の倉庫壁面の)近くに川崎競輪場があることにちなんでいます。フィールドワークじゃないですけど、近隣を散歩していたら「競輪場があるから、自転車を描くのがいいかも」と。
基本的な構図やモチーフはラフから変更はなく、制作する中でブラッシュアップしていくイメージで進めていました。今回はハローブリッジ下倉庫壁面にアートを施したのですが、実際に現場を見てみると少しだけ床が傾いていたり、陽が強く当たる場所とそうでない場所があったりと、環境面を加味する必要もあって。モチーフの配置や大きさなど、細かいディティールは全体のバランスを見ながら調整していきました。
最初からかっちりとデザインを固めてしまうのではなく、“遊び”を残した方が良いものができるという自信があるので、現場に合わせて臨機応変に描くことは、どの現場でも大切にしていますね。
ーー制作期間はおよそどのくらいかかったのでしょうか?
YUSEIさん:
実際の制作日数としては、1週間くらいだったと記憶しています。今回はunomoriくんとの共作だったので、別々で作業することも多くありました。
1日あたりの作業時間で言うと……数時間だけで終わらせる日もあれば、朝の9時ぐらいから日没まで描いている時もあったので日によってバラバラでしたね。ただ、ミューラルアートは辺りが暗くなるまでに片付けないと作業ができないので、最大でも1日5~6時間くらいだったと思います。

ーー別々で作業された部分もあったのですね。制作を進める上で、unomoriさんとはどのように役割分担をされたのでしょう?
YUSEIさん:
最初のラフ案は僕が作成して、それに対してunomoriくんと一緒に具体的な要素を肉付けしていくかたちで進めていきました。カワセミやひまわりなど具象的なものは、unomoriくんの得意分野なのでそこは彼に担当してもらって。僕は全体的な構成を考えたり抽象的なラインを描いたりする方が得意なので、分担して制作していきましたね。
僕はもともと、複数人でコラボレーションして一つの作品を作ることがすごく好きなんです。過去には、5人のアーティストとグループで活動していた時期もあったくらいで。そこでの活動を通して、複数人でアート制作を行う上では“バランス”が大切だということも学びましたね。
音楽バンドで例えるならば、誰がボーカルで、誰がベースやドラムなどリズムをキープする役をやるのか? みたいな話ですよね。全員が「俺が俺が!」と前に出すぎてしまうと、ぐちゃぐちゃな作品が出来上がってしまうんですよ。過去にはそういうことも実際にあったので(笑)、何人かで一つのものを作り上げるには、何となく自分の立ち位置みたいなものが分かっていた方が良いなと学んだのが、今も活きているのかなと思います。
ミューラルアートは、“コミュニケーションの場”も創出する
ーーもともと共同制作されていた過去があったのですね。ではここからは、YUSEIさんのキャリアについて伺います。最初に絵を書き始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
YUSEIさん:
もともと絵を描くのが好きで、デザイン専攻がある一般大学に通っていました。本格的に始めたのは、18歳くらいの頃からですね。雑誌の編集やデザインのアルバイトをしながら、友人からの依頼を受けてクラブイベントのフライヤーデザインや、イラストやロゴを作っていました。

でも、今思うとそれは仕事と言うよりは友達同士のやりとりみたいな感覚でしたね。ぶっちゃけ、絵を描くだけで生活できるなんて当時は思っていなかったんですよ。僕が好きなストリートアートやグラフィティという領域は、それだけで事業として成立して生活できている人なんて、日本ではほとんど存在していなかったので。海外では色んなアーティストが活動しているのを動画サイトなどで見ていたのですが、日本じゃ全然いないぞと。
街中の壁などに絵を描く、いわゆる「ミューラルアート」と呼ばれるものでお金を稼ぐということはほとんど聞いたことがなかったし、可能性としては低かった。ただ、ちょうど同じくらいの時期にクラブイベントの中でライブペイントをしたり、大きな壁にアートを描くことが局地的に流行り出したんですよ。
その様子を見て「じゃあ僕もやってみよう」と思ったのが、ミューラルアートを始めたきっかけでした。友人から少しずつ依頼を受けていると、大きなフェスやイベントで「ステージ上で絵を描いてほしい」などと言っていただける機会が増えて、だんだんと大きな作品を制作することが増えていきましたね。
最初からいきなり生活に紐づくとは思っていませんでしたが、自分もそういうカルチャーの中に入ってみたかったんです。もともと、街中にあるグラフィティやストリートアートに対して憧れを抱いていて、そういう領域で表現したいなと思っていたので。携われる機会を探してたらたどり着いた……というのが正しいですかね。
ーーもともとグラフィティやストリートアートに憧れを抱いていたのですね。そのきっかけとしては、何があったのでしょうか。
YUSEIさん:
僕は福島県出身なのですが、高校生の頃によく仙台まで買い物に出かけていたんです。街中にグラフィティが描かれているのを見て、迫力に圧倒されたのが一つのきっかけですね。当時はストリートに描かれているグラフィティを実際に見たことがほとんどなかったので、かっこいいなと。
当時の福島と比べたら仙台は、都市的な部分ももちろん多かったけれど、アンダーグラウンド的な文化もけっこう表に出ていて。そうしたカルチャーにも心を撃たれたと同時に、当時から絵を描くことが好きだったので「なんか僕にもできそうだな」と思ったんです。

ーー前例がないということは、教えてくれる師匠的な存在もなかったのでしょうか。
YUSEIさん:
教えてくれる人はいなかったですね。デザイン専攻の大学に通っていたのですが、ストリートアートに関しては完全に独学で、試行錯誤しながら学んでいきました(笑)。どの芸術分野においても共通するかもしれませんが、特にグラフィティやストリートアートの領域は“自分のスタイル”を出すことが一つの評価軸になるので。
もちろん上手い・下手という評価軸はあると思うのですが、「アーティスト」として活動をしていくにはスタイル性がないと評価軸があまり広がってこないなと思っています。なんなら、「“ヘタウマ”の方がかっこいい」みたいな声もあったりするんですよ。色んなものさしがあるのも、この領域の魅力だと思いますね。
ーーミューラルアートと呼ばれる領域はかなり奥深そうです。YUSEIさんが考える、一番の魅力は何でしょう?
YUSEIさん:
単純に、描くサイズが大きいというのが魅力だと思います。一目見て「本当に人が描いているの!?」って驚きを与えてくれるのが、一番良いところだなと。あとは、街中の壁などに直接描くので、その場所からコミュニケーションが生まれること。
昨年5月に(川崎市の姉妹都市である)クロアチア・リエカ市でミューラルアートを制作させていただいたのですが、現地のことをほとんど知らないまま向かったんですよ。もちろん友達も一人もいない状況だったのですが、街中で僕が一人でアートを制作していると毎日現地の方が必ず声をかけてくれたんです。中には差し入れを持ってきてくれる方もいましたし、制作風景を見に来てくれた人の間でコミュニティができていて、知らない間に友達になってるのも驚きました。

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今回のハローブリッジ下の倉庫壁面もそうです。すぐ傍に公園があって人通りも多い場所なので、お年寄りの方が「完成を楽しみにしてるよ」と声をかけて下さったこともありました。ミューラルアートを通して、地域の方の“コミュニケーションの場”を作れているなと実感できて、嬉しく思いましたね。

ミューラルアーティストの活動の場を、たくさん増やしていきたい
ーーこれからミューラルアートの領域でどんなことに挑戦したいか、展望を教えてください。
YUSEIさん:
これから挑戦したいと言うより今もトライし続けていることではあるのですが、ミューラルアーティストたちが自由に活動できる場所を、もっと増やしていきたいなと思っています。ミューラルアートはほかの領域でのアートと異なり、街中の大きな壁やその土地がないとキャンバスすら用意ができない。それを誰が所有していて、アートを施すにはどこに許可を取るべきかと考えていくと、公共施設や自治体などに協力していただく必要があったりと、クリアしないといけない問題がすごく多いんですよね。
以前僕は、中原区・平間銀座商店街の空き店舗を利用させていただいて「Walternatives」という期間限定のアートプロジェクトを行っていました。そこでは壁面全体が大きなキャンバスとなっていて、床や柱もアーティストたちの作品で埋め尽くされていたのですが、こういった“場所”の提供をもっと行えたらと考えています。

ーーでは、今後川崎市と一緒に取り組みたいことはありますか?
YUSEIさん:
今回のミューラルアート制作のように、今後も川崎市さんと一緒に何かできる機会をいただけたらめちゃくちゃ嬉しいなと思います。ただ、アーティストたちが活動できる場所を提供するのは、あくまでも僕自身がプレイヤーとして第一線で取り組んでいくべきことだと思うんです。
でも、川崎市はストリートカルチャーに非常に良く目を向けてると思っていて、全国的に見ても相当トップクラスなんじゃないかと思います。今やそういった文化に関心のある自治体や団体はかなり増えた印象があるのですが、その中でも川崎市はかなり前から積極的に取り組んでいて。
「Wallternatives」の開催期間中、川崎市長が内覧に来てくださったこともありましたよ。それだけでなく、平間銀座商店街の会長さんや地域の方もすごく良くしてくださって。ストリートカルチャーだからといって距離を置くことは一切せず、優しくしてくださったので、僕たちも「地元の人と一緒になって、この地域を盛り上げたい!」という思いがありました。その時は期間限定の開催だったので、残念ながら一緒に取り組みをすることは難しかったのですが、もし今後そういった場所を用意できたら、市を巻き込んだイベントをやってみたいと思いますね。

★下記から本作品のメイキングムービーをご覧いただけます。
・Long ver. https://youtu.be/Af1ei94kQSw
・Short ver. https://youtu.be/Updrt6pl2RA
<YUSEI(佐川友星)さん プロフィール>
1986年生まれ、福島県福島市出身。東京・神奈川を中心に活動。10代後半にグラフィティ・ストリートアートに影響を受け表現の道を歩む。
https://www.instagram.com/yusei_sagawa/
<unomoriさん プロフィール>
「ハローブリッジ」下の倉庫壁面の共同制作者
理系大学卒業後、独学で作家活動をスタート。緻密な細密画を得意としながらも、技法に囚われずに大胆なペイントやシルクスクリーンを取り入れるなどし作風は日々アップデートしている。
https://www.unomori.com/
(取材日 2024年12月4日)
取材・文/柴田捺美 写真/矢部ひとみ